はじめに

もう20余年も前のこと,化学染料に押され需要が無くなっていった日本の伝統文化、藍染め木綿の古い布に出会いました。その温かみのある風合いは、かつて庶民の生活着として日本中に見られたものでした。この美しい[青]をもう一度現代に復活させることができたら・・・そんな情念が私を突き動かしました。

裂織(さきおり)の魅力、それは糸では決して表現できない繊細で微妙な色合い、そして温かい風合いです。この伝統的な手法を借りて、藍染めの魅力を引き出したいと思ったのです。

以来、藍布を裂き、先人の喜びや悲しみを緯糸に封じ込みながら、現代風に纏い、飾ることを夢見ています。

“裂織は重量感のあるもの”という従来のイメージの払拭は、私のもう一つのテーマでした。裂織でありながら繊細で柔らかく、透明感のある布を創出したいと、革新的な質感へのチャレンジを試みています。

21世紀はこれまでの使い捨て社会から、循環共生社会へと質的変化を求められています。リサイクルの芸術ともいえる“裂織”は、「過去から現在、そして未来への発見・再生・創造の美」であり、まさに未来的なアートの一分野としての可能性を秘めているのではないでしょうか。

裂織の魅力

裂織の魅力、それは手で裂かれた布の断面からそれまで潜んでいた色が顔を覗かせ、さらにその際に生じたささくれが、織りの表面に陰影を与えます。それらが響き合って一層深みのある裂織独自の世界を醸し出すことでしょうか。そして、同時に瞬時にして温もりが伝わってきます。それは裂き糸の成せるもので、糸ではけっして得られない感覚です。

sakiori

織りに携わる者にとって裂織は、身近な素材として大変親しみやすい表現技法です。その裂織となる布の大半は、身近な人の着物や洋服を裂いて織り込みますので思い出もたくさん詰まっています。ですから、様々な記憶が甦り、写真同様“思い出の記録”ともなります。そしてそれは、ぼろとして捨てられたものが美しく機能的に再生されることの楽しさ、創造への喜びにも繋がります。

使い古され色褪せヨレヨレになった布ほど 味わいのある裂織布に生まれ変わる その意外さ、楽しさー裂織の醍醐味です。

1980年代の始め藍染め古布はまだまだ古物商の棚の奥でひっそりと眠っている時代、神戸近郊でその布を使って洋服に仕立てることが流行り始めていました。その裁ち落しを頂いたことが、「藍染め古布裂織」を始めるきっかけとなりました。

その織り上がった時の深みのある色、風合い、角度によって微妙に変化する美しさ、それらが渾然となって醸し出す温かな雰囲気にすっかり魅せられてしまいました。その当時は古い物が惜しげもなく捨てられている時代で布類も例外ではありませんでした。“雑巾にもならない”ような古い古い藍染め古布に今一度、命を吹き込み織り素材のひとつとして表現できないものか、裂織布をもっと広範囲に利用できないものか、そして、古布が比較的手に入りやすい今、やっておかなければという気持ちに駆られ創作活動に入っていきました。

新しい裂織表現

どんなに素晴らしい裂織であっても、今日の生活の中で十分に生かされていなければそれは廃れてしまいます。「現代(いま)」という時空と共鳴しあう魅力ある裂織布を求め、その表現は時と共に変化していくものだと思います。

裂織裂織は「無作為の美」と例えられることが多いのですが、その美しさには十分に構成されて表現されたものとそうでないものとでは明らかな違いがあります。偶然に思えたものであっても決してそうではなく、作意が働いてこその美なのです。裂織は木綿の入手の困難な時代の庶民の切なる望みから生まれました。

しかし、溢れるほどの物に囲まれ、自由な発想が許された現代の私たちが創り出す「新しい裂織布」は、もう“ボロの再生品”ではありません。

「裂織も美しい織り表現の一つ」

美意識をもって、表現方法そして可能性に視点を向けて見れば、「裂織」という分野の枠を超えた新しい創造の世界があります。「素朴な温かさ」これが裂織本来の魅力なのでしょうが、私は逆転の発想ともいえる「モダンでシャープ」を現代(いま)に求め、視覚、触覚、色彩効果と多岐に渡る可能性を捉えての創意工夫が始まりました。

「裂織は重量感のあるもの、という従来からのイメージの払拭」

「裂織の用途の拡張」

「裂織が現代の空間の中でも十分に楽しめるもの、ということへの立証」

「裂き糸も立派な織り素材、という認識の定着」

これらの事柄を念頭に、アート、クラフト両面からそれらを見つめてきました。 それは両方が表現できてこそ「新しい表現の確立」と考えていたからです。 それはとても楽しい創作時空でした。

そのような中から生まれた数々の新感覚な裂織群を「裂織布(サキオリファブリック)」 私の創造空間全体を「裂(さく)・Fabric Art」と称しています。

これから…

sakiori 制作するたびに新しい発見があり、自己表現の一つとして藍染め古布に出会えたことは大変うれしいことです。藍の美しさをどこまで表現できるのか、その可能性を探求する面白さに魅せられ制作を続けておりますうちに、藍以外の色にも関心が移り表現の世界が広がっていきました。布を染めれば織り素材として無限ですが、当初より古布だからこその色合い、質感を大切にして参りました。限られた中での表現の可能性を見出すーそれがまた楽しいことなのです。

裂いて織り込む素材、「布」を主として展開してまいりましたが、裂けるもの、織り込めるもの、それら素材を広範囲にとらえていくことで裂織の表現は豊かさを増します。それに加えて、今後も化学の発達と共に誕生するであろう新繊維は、裂織の可能性をさらに広げ奥深いものにしてくれることでしょう。それらとの出会い、それらの特性を生かした新しい表現―楽しみはまだまだ続きます。

日本の裂織

裂織」は使い古された布を細くリボン状に裂いて、緯糸として織り込んでいく織物です。それは布が大変貴重であった時代の知恵として生まれ、世界各地で織られていました。

裂織 ドンザ日本で裂織が盛に織られるようになったのは、江戸時代初期(17世紀中頃)棉の種子が伝来して、その栽培が定着し庶民の間に木綿が広く普及するようになった江戸時代中期以降(18世紀中頃)のことです。それ以前の衣服は麻などの生活周辺にある草や木の繊維から成していました。それらから作られた物は固くて肌に馴染みにくいうえに、冬はとても肌寒いものでした。

木綿が広く普及した地域は江戸や大阪、京都等のいわゆる政治経済の中心都市部や棉の栽培の可能な温暖な地域でした。それに適さない寒い地域では木綿は非常に貴重品で、その入手には交易に頼るほかはなく、そのため木綿や古着は高価な交易品として都市部より運ばれていました。

米作りも伸び、貨幣経済が発達し地方都市も発展してくると、庶民も豊かになり、しなやかで暖かい木綿が買えるようになりました。しかし、それでもなお貧しい庶民や寒村では古着を選んでは普段着や蒲団などに使用、それらに使用できないものは繋ぎ合わせたり、繕うための大切な布でした。さらに、それにすら使えない古着やいよいよ役を終えた布を裂いて織ったものが裂織です。こうしてやっと「木綿」を手に入れることができたのでした。これら裂織からは、先人の木綿への強い憧れと布をいとおしむ心が伝わってきます。

日本での裂織は主として、海や山での荒仕事の作業着として全国各地で広く利用されてきましたが、近代に入り工業の発展と共に生活様式の変化、さらには安く木綿が入手できるようになると多くは忘れられていきました。第二次世界大戦後の物資不足の折、一時は盛んに織られましたが、日本の国が豊かになると再度忘れられていきました。 そして21世紀の今、手づくりや伝統への再認識が問い直される機運の中で、裂織もひとつの文化として捉えられ、その美しさが理解されるようになりました。